造り手の性格が映し出される 真っ正直なピュリニー・モンラッシェ
ドメーヌ・ルフレーヴと並び、ピュリニー・モンラッシェでもっとも尊敬を集める造り手がエティエンヌ・ソゼだ。
1903年に生まれたエティエンヌはわずかな畑を親から継承し、1950年頃にはそれを12haまで広げた。
惜しまれながらも1975年に他界。ひとり娘はヴォルネイのボワイヨ家に嫁いだため、孫娘のジャニーヌが夫のジェラール・ブードとドメーヌを継ぐことになった。
ところがブドウ畑はエティエンヌの娘、ジャニーヌの母であるマダム・ボワイヨの所有で、1989年に相続税の問題を解決するためにこれを3人の子供に分け与えることにした。
彼女はドメーヌがバラバラになることを望んではいなかったそうだが、息子のひとり、ジャン・マルク・ボワイヨが相続分を自身のドメーヌに組み込んでしまったため、エティエンヌ・ソゼの畑は9haまで縮小。
ただでさえ需要に対して供給量が不足しているところにもってきてこの始末。顧客のことを思えば畑が減ったからといって簡単にアロケーションを3分の2にすることもできない。そう考えたジェラール・ブードとジャニーヌは、91年から買いブドウによりこれまでの生産量を維持する道を選んだ。
しかも、ワインをドメーヌものとネゴスものに分けるのではなく、各クリマ、自前のブドウの不足分を買いブドウで補い、ワインを造ることにした。
つまりドメーヌの看板を降ろすという潔い道を選んだわけだ。なんて律義な夫婦なのだろう。
ブドウの供給先は、ジェラールが信頼を置く栽培農家ばかり。同じピュリニー・モンラッシェ村で日々顔を合わせているわけだから、供給先もジェラールの目を誤魔化しようがない。
このように従来からドメーヌがもつクリマに加え、わずかながら100%買いブドウから造られるワインもポートフォリオに加わった。それが特級のシュヴァリエ・モンラッシェとモンラッシェ、1級のアモー・ド・ブラニー、シャン・ガン、ガレンヌだ。
ブドウ栽培は5年前からビオディナミ。収穫したブドウは除梗せずに空気式圧搾機でプレスし、果汁を24時間冷却。小樽に移してアルコール発酵、続いて熟成。熟成期間はブルゴーニュ・ブランで10ヶ月、村名で12ヶ月、1級と特級が18ヶ月である。新樽率は村名20%、1級25〜40%、特級45%。
熟成中は試飲を繰り返し、必要に応じてバトナージュを行う。樽熟成後はステンレスタンクに移し、さらに細かな澱とともに6ヶ月の熟成。清澄とろ過をともに軽くかけて瓶詰めである。
2000年からジェラールの娘であるエミリーが、そして2002年にはエミリーの夫、ブノワ・リフォーがメゾンに参画。エティエンヌ・ソゼの次世代を担う。